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「覇道」とは?

「覇道」とは、中国先秦時代によく使われた、「帝道、王道、覇道」の、「覇道」です。
先秦とは、周末の春秋戦国あたりをさします。

結論から言いますと、なぜ西部辺境の秦が、中国統一ができたのか?
それこそ、覇道の力なのではないのか?

おそらく、覇道が完遂できたのは、法家と兵家の思想。
つまり、韓非子と孫子の理論による政治と軍事の集大成こそが、秦の覇権を約束したと思うのです。

その時代は、帝道や王道では、勝ち抜けなかった…

これが、弊社が「覇道のSEO」を提唱する理由でもあります。

法家の思想と秦の歴史

法家の思想は、遊説にとどまらず、国家の宰相が採用した、あるいは国王が法家の人材を重職に登用したという特徴があります。

また、孫子でさえ最初の始計篇で、五事七計を語り、五事では「道、天、地、将、法」と、法をあげています。これは、軍法の意味ですが、やはり、システム化して組織にルールを浸透させることを目的としています。

商鞅(しょうおう)

秦が、戦国時代の最強国になるきっかけは、法家の商鞅による「変法」。

これによって、守旧派の既得権が破壊され、法によって信賞必罰が明確になり、国家がシステム的に運営されるようになりました。

一応、上は王から下は庶民や奴隷にいたるまで、システムのガイドブックのように、法による人材活用と報奨罪科が明確になって、
政治でも軍事でも、国家に貢献する度合いに応じて、出世したり、財産を築いたり、していくことになります。

建前としては、王や寵臣、あるいは地方の役人にいたるまで、場当たり的な、恣意的な裁断が排され、同じガバナンスになったということです。

法家の政治家は、時の王の寵愛によって出世し、権勢を極め、王族をはじめ既得権者を弾圧し、そして、その王の死によって、惨死することが多いです。
その時に法も葬り去られるのですが、秦だけは、商鞅の法のほとんどが残存します。これが、やがて秦による中国統一のベースとなるわけです。

管仲(かんちゅう)

法家の始祖というか、政治にも軍事にも異能を発揮して、主君の桓公を覇者になりあげたのは、春秋時代、あるいは戦国時代も含めて、名宰相と評判の高い管仲です。

管仲は、国家のビジョンを富国強兵とし、まず庶民を苦しめない税制のための農政改革をおこない、商業も製塩や交易を奨励して、首都の臨淄(りんし)は中国随一の大都市となって数十万人が集まりました。

軸をつくってぶれない。
それには、道徳や倫理、はたまた時代錯誤の過去を模範とした理想では、常に今という現実に裏切られます。

今、ここで、
当代で、この領国で、
ベストの選択。
これが法家思想の、現実主義です。

周王に代わって、諸国の紛争などを調停するのが、「覇王」です。
斉の桓公、晋の文公が、春秋五覇として有名です。

子産(しさん)、呉起(ごき)、申不害(しんふがい)

十把一絡げになりますが、

春秋の鄭の宰相の子産は、やはり、土地制度・軍制・税制などを改革。
また、中国初の成文法を制定。
青銅器に法を刻んで、国家システムを庶民に露わにしたと、非法家の連中に批判されました。
つまり、当時の為政者や思想家は、「由らしむべし、知らすべからず(論語)」と。

戦国時代、魏を追われ、楚の宰相となった呉起。
法家というより、兵家として名が高いですね(孫呉の兵法)。
呉起がやったことも、政治改革と既得権の剥奪。富国強兵と中央集権でした。

戦国時代の韓の宰相、申不害。
戦国七雄の最弱国も、申不害の法整備による公平な論功行賞によって、滅亡を遅らせました。

韓非(かんぴ)

韓非は、韓の公子。
彼の尊称、および著作が、韓非子です。
申不害の影響もあったでしょう。

ちなみに、晋が分裂して(臣下の卿が独立)、韓・魏・趙となり、春秋から戦国に変わります。
韓・魏・趙は、三晋とも言われています。
韓は韓氏、魏は魏氏、趙は趙氏が、それぞれ国王となっています。つまり、「氏」がそのまま国名になっています。
(もともと、地名を氏にしたのでしょう。またこの時代の中国では、「姓」と「氏」は区別されていました)

韓非は、秦王に招かれながら、投獄され、毒をあおいで自死します。
この秦王は、後の始皇帝。
また、韓非の才能を怖れた、同じ法家の李斯(りし)の謀略という説もあります。

秦王・始皇帝は、韓非の著作の一部を読んで、非常に感銘を受けたと伝えられています。
(この著者に会って話を聞けたら、死んでもいい!)

秦始皇帝

ところで、宰相にまでのぼりつめた李斯も優秀なのか処世術に長けていたのか、戦国最末期から中国統一のあとの秦の国家的な意志決定には、いろいろな案が採用されています。
(焚書坑儒も…)

ただ、秦始皇帝そのものが、法家思想、韓非子をよく理解しており、また、国家システムを掌握し政治をおこなっていました。

文字、通貨、度量衡、車両などを統一し、交通網の整備など、法家思想の国家システムの標準化、普遍化が徹底されたと言えるでしょう。
(なお文字の使用は、皇帝は篆書、臣下は隷書と定められました。今日まで残るフォントです!)

法家思想とは

法家の思想は、組織や業務のシステム化であり、それを標準化して構成員に浸透させることです。

これによって、上から下まで軸が明確になり、思考や行動の規範となって、誰もがその宇宙のなかで生きていくようになります。

大なり小なりの権力者の、恣意的で場当たり的な意志決定がなくなり、何をするべきか、また今やったことが賞されるのか罰せられるのか、誰にも明確になります。

なによりも、道徳や倫理や理想といった空想的で非現実的な規範ではなく、今の時代に応じたルールによって、運営されることが求められるのです。

結局は、秦帝国も三代で滅亡したのですが、そもそもが、誰もがなしえなかった広大な中国の統一は、秦始皇帝の天才と、法家思想が大きく貢献したことも間違いないでしょう。

覇道を求めて

何気なく「覇道のSEO」と称して、有料メルマガをはじめたのですが、中国史は日本史とはまた違った発見があって、さらに現代中国とは異なる価値観もあって、非常に為になりました。

諸子百家の遊説家は、ほとんど未練もなく国を渡り歩いては、君主を説いて遠慮なく以前住んでいた国を攻めます(笑)
またほとんどが、宰相や大臣、軍師や将軍となって、その後、次世代の寵臣の讒言によって横死します。

漢以降は、首都陥落や、皇帝一族の滅亡によって、あるいは禅譲によって、王朝交代が多いのですが、秦だけは時間をかけて統一しています。

ほんとうの覇道を実行したのは、秦始皇帝だけかもしれません。

競争をして、勝利する。
やはり、現在の日本でも、覇道が必要でしょう。

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